能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 碇潜 日本語

あらすじ

平家に縁ある旅僧(ワキ)が、長門(ながと)国(現在の山口県)早鞆(はやとも)浦を訪れます。そこで老いた舟人(前シテ)に船頭を頼み、船に乗り込みます。船中で、壇ノ浦の合戦を語ってほしいと頼むと、舟人は武将・平(のり)(つね)(平清盛の甥)の勇猛な戦ぶりと、源氏方の安芸(あき)太郎次郎の兄弟を両脇に挟み、死出の道づれに海に飛び込んだ最期を語ります。そして、自分こそ平家の亡霊であると明かすと、平家一門の跡を弔ってほしいと姿を消します。浦人(アイ)から、教経の奮戦ぶりを聞いた旅僧は、法華経を読誦(どくしょう)して平家一門の菩提(ぼだい)を弔います。夜、僧が回向(えこう)していると、海中から大きな屋形船が浮かびあがってきます。船から、安徳(あんとく)天皇(子方)、二位尼(ツレ:平清盛(きよもり)の妻・安徳天皇の祖母)、大納言局(だいなごんのつぼね)(ツレ:安徳天皇の乳母)、平(とも)(もり)(後シテ)が現れます。二位尼は安徳天皇の入水(じゅすい)の様子を語ると、旅僧に回向を頼みます。知盛は、源氏の軍勢を大長刀(なぎなた)()ぎ払ったあと、鎧と兜、そして碇を戴いて海中へと飛びこんだと、壮絶な最期を語るのでした。

見どころ

 「碇潜」の見どころは、平家の武将の勇猛果敢な戦いぶりだけでなく、安徳天皇や二位尼などの亡霊の最期など、壇の浦の合戦で滅亡した平家の有りさまが描かれていることです。

 元暦(げんりゃく)2年(1185)3月、壇ノ浦で平氏は源義経が率いる源氏の軍勢に敗れ、安徳天皇・二位尼をはじめとする多くの者たちが海に身を投げました。ときに安徳天皇は八歳。この幼帝の悲劇は、後の世まで多くの伝承とともに語り継がれることとなりました。

 シテ・平知盛は、平清盛の四男です。各地で軍功を挙げましたが、壇ノ浦の合戦で「見るべき程の事は見つ。今は自害せん」と言い残して入水します。じつは、『平家物語』での知盛は、壇ノ浦の合戦でほとんど戦っておらず、最期も碇を戴いて入水しません。「碇潜」で知盛が大長刀を縦横無尽に振るい、碇を戴いて海に飛び込む豪快さを見せるのは、本作品の創作と考えられています。

 前場の見せ場は、前シテが床几(しょうぎ)に座って語る、平氏きっての勇将・平教経の勇猛な最期です。各所で奮戦し、壇ノ浦の合戦だけでなく、一の谷・屋島の合戦でも義経をあと一歩のところまで追いつめました。

小書(こがき)(特殊演出)「船出之習(ふねだしのならい)」がつきますと、通常の演出とは異なり、後場の詞章・演出などが大幅に変わり、安徳天皇や二位尼などが登場します。これは、本作品の作者の可能性が指摘される金春(こんぱる)(ぜん)(ぽう)自筆本に書かれたものと近いものとなっています。