能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 高野物狂 日本語

あらすじ

 常陸(ひたち)国(茨城県)の高師四郎(たかしのしろう)は平松殿に仕える武士です。主君が亡くなった後、その遺言により、遺児の春満(しゅんみつ)を養育していました。今日は平松殿の命日。高師が寺で主君を思って焼香していると、召使が春満の(ふみ)(手紙)を持ってきます。文には、春満が「父母の弔いのため出家するので、探さないでほしい」とありました。驚いた高師は、三世(さんぜ)の契り(前世・現世・来世を共にする契り)を交わした主従でありながら、自分を置いて出家した春満を思って嘆きます。そして、春満を探すため旅に出ます。

 紀伊国(きいのくに)(和歌山県)の高野山。出家した春満が、僧に伴われて高野山三鈷(さんこ)の松へとやってきます。そこに春満を思うあまりに物狂(ものぐるい)となった高師が現れます。僧が「山から出よ」と言うと、高師が「開祖の弘法大師(こうぼうだいし)入定(にゅうじょう)(高僧の死・永遠の瞑想)した地で出よとは」と反論します。さらなる僧の問いかけに、仏の教えをふまえた返答をする高師。そして三鈷(さんこ)の松の謂われ、霊地高野山の有様を語り舞います。主君春満への思いが募った高師は、ここが歌舞(かぶ)音曲(おんぎょく)の禁域であることを忘れて舞い続けます。

 ようやく主従はお互いに気づき、高師は自らも春満にならって出家したのでした。

 現在の観世流では、春満は高野山に居るものの出家はしておらず、再会した主従は共に山を下り、春満は家を継ぐという結末です。

見どころ

 高師は「物狂(ものぐるい)」の状態で高野山にやって来ます。「物狂」とは、大切な人と生き別れ、心乱れた状態となった者、またその状態を指します。物狂は大切な人を探す旅の途中で、自分の思いを歌や舞に重ね合わせて表現します。大切な人は子や恋人・夫婦の設定が多いのですが、本曲は主従、幼い主君を思う家臣であるのが特徴です。

 舞台の高野山金剛(こんごう)峯寺(ぶじ)は、平安時代に弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が開いた真言密教の総本山。特に、本曲では大師の伝説がある「三鈷(さんこ)の松」が中心。謡に出てくる「入定(にゅうじょう)」とは一般的には高僧の死のことですが、高野山では大師は亡くなったのではなく、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現世に出現するのを奥の院で待っていると信じられ、その状態を入定とみなしています。

 本曲の作者は世阿弥(ぜあみ)。息子観世元雅(かんぜもとまさ)が作った独立の謡物(うたいもの)高野曲舞(こうやのくせまい)」をほぼそのまま取り入れています。この曲舞を高師は物狂の芸として舞います。曲舞は現在では「クセ」と呼ばれるところで、「三鈷の松」から始まる高野山の起こりや、仏の教えを表す聖域の風景が謡われます。クセに見える信仰心の深さは、高師の主君を慕う心の強さに重なるようにも思えます。

「元禄本ニヨル」という演出では、江戸時代の元禄(げんろく)年間に出版された謡本に基づきます。

実は、元禄よりも後の時代、明和(めいわ)になって観世流では謡本の改訂がなされました(明和改正謡本)。その際に、春満はまだ出家しておらず、再会した主従は山を下り、春満は家を継ぐという結末に変えられました。現在も観世流では明和に変更された内容で上演しています。今回は、特別に古い形に戻しての上演ということになります。