能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 柏崎 日本語

あらすじ

 越後(えちごの)(くに)(今の新潟県)の柏崎(かしわざき)殿の妻(前シテ)は、訴訟のため鎌倉に滞在する夫を、故郷で待ち続けていました。そこへ、家来の小太郎(ワキ)が帰ってきます。夫は鎌倉で急死してしまい、そのことを伝えにきたのです。小太郎は妻に夫の形見と一人息子花若(子方)の手紙を渡します。花若は父に同行して鎌倉に行っていましたが、父を失った悲しみのあまり僧になり修行の旅に出てしまったということです。自分一人を置いて帰ってこない夫と子どもに、妻はやり場のない悲しみを抱え、心を病んでしまいます。

 そのころ息子の花若は、信濃(しなのの)(くに)(長野県)善光寺(ぜんこうじ)で修行をしながら父の冥福を祈る日々を過ごしていました。花若が、修行のため師の僧(ワキツレ)とともに善光寺の如来堂(にょらいどう)を訪れたとき、物狂(ものぐるい)の女(後シテ)がやってきて騒ぎはじめます。見ればそれは、故郷に置いてきた花若の母でした。物狂は女人禁制の如来堂の内陣に入り、夫の形見の烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)を奉納すると、それを着て仏前で舞を舞います。物狂の様子をずっと見ていた僧は、女を哀れみ、花若がここにいることを教え、二人を会わせます。再会を果たした親子は喜び合ったのでした。

見どころ

 この能の舞台である長野県の善光寺は、飛鳥(あすか)時代に建立されたと伝えられる古い寺です。甲信越(こうしんえつ)地方を中心に篤く信仰されたのはもちろんのこと、京都の貴族の間でも、女性を救済する仏としてよく知られ、わざわざ京都から参詣する女性がいたほど広く信仰を集めました。仏教の教えでは、女性には(けが)れや煩悩(ぼんのう)が多くあるため、仏から最も遠い存在であると考えられていました。このような教えが当たり前に信じられるなかで、善光寺は女性の救済を目指したのです。世の女性たちは善光寺の阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)を信仰することで、死後やすらかに成仏できることを祈りました。〈柏崎〉のシテが狂乱のはてに善光寺にやってきたのも、自分を救ってくれる唯一の仏がそこにいたからなのでしょう。

 後半で、シテが夫の形見を着て舞う場面は、この能の最大の見せ場です。詞章にある直垂(ひたたれ)は中世の武士の着物ですが、能では本物の直垂ではなく「長絹(ちょうけん)」という能装束を着ます。「長絹」は中が透けて見える羽織物で、基本的には女性の役の装束ですが、男性の役にも用いられることがあります。このような男装の舞を「移り舞」といいます。形見を着ることで、亡き夫や恋人がシテの身体に乗り移り、二人が一つになって舞うという意味です。シテの強い愛情を表現する演出として、〈井筒〉など他の作品でも見ることができます。