能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 放下僧 日本語

あらすじ

 下野(しもつけ)(のくに)(今の栃木県)の牧野(まきのの)小次郎(こじろう)(前ツレ)は、父親を、利根(とねの)(のぶ)(とし)(ワキ)という相模(さがみ)(のくに)(神奈川県)の男に殺されてしまいました。その敵討(かたきう)ちのため、小次郎は僧侶になっている兄(前シテ)を説得し、(かたき)を探す旅に出ます。一方、兄弟の敵である利根信俊は、敵討ちに(おび)える日々を過ごしていました。あまりの夢見の悪さに、利根はお祓いのため瀬戸(せと)の三島(神奈川県横浜市)を参詣することにします。

 お供の従者(アイ)には、自分の本名を人に明かさないようよく言い含め、周囲を警戒しながら旅をしますが、好奇心旺盛な従者は、道中で出会った二人組の放下(ほうか)(歌舞や曲芸などをする芸能者)に興味を持ち、利根が止めるのも聞かず近くまで呼び寄せてしまいます。実はこの二人組の正体は、小次郎(後ツレ)とその兄(後シテ)なのでした。

 二人は信俊に近づくため、放下(ほうか)の芸人の姿に変装していたのです。浮雲(ふうん)流水(りゅうすい)という偽名を使って利根の興味を引いた兄弟は、禅問答や羯鼓(かっこ)の舞を披露します。はじめは警戒していた利根でしたが、二人の面白さにすっかり心を許してしまいます。その(すき)を見逃さず、兄弟は見事、父の敵を討ったのでした。

見どころ

 「放下(ほうか)」は、中・近世に活動していた男性芸能者の一種です。出家(しゅっけ)して僧になっている者は「放下(ほうか)(ぞう)」と呼ばれました。この能では僧であるシテを放下僧、俗体(ぞくたい)(僧になっていない一般男性)のツレを放下といって区別しています。また、シテが演じて見せる(かつ)鼓舞(こまい)は放下の芸の再現です。能では羯鼓を叩くふりをするだけですが、実際は腰に(くく)り付けた羯鼓を、手に持った二つの(ばち)で叩きながら舞います。放下はこのほかにも小切子(こきりこ)、ササラなど、棒状の道具を打ち鳴らし手先で操る芸をよくしたといわれており、その様子が『天狗(てんぐ)草紙(ぞうし)』という絵巻に描かれています。現在もこの種の芸能は、当時とは形を変えて地方の民俗芸能に残っています。また京都で、捨てることを意味する「ほかす」は、「放下す」を語源としています。

 〈放下(ほうか)(ぞう)〉の面白さは、主人公の兄弟が芸能者に変装して芸尽くしを見せるところにあります。よく似た作品に、〈望月(もちづき)〉という敵討(かたきう)ち物があります。〈望月〉は、獅子舞(ししまい)稚児(ちご)(かっ)鼓舞(こまい)瞽女(ごぜ)(歌や語りを生業とした盲目の女性芸能者)の芸で、(かたき)を油断させて敵討ちを成し遂げるという内容です。これらの能では、主人公の器用さと、危機を乗り越える機転が合わさることで、緊張感を保ちながら花のある場面が展開されます。

 ちなみに、この曲の舞台となった瀬戸の三島とは、現在の神奈川県にある瀬戸神社という神社です。鎌倉を治めた源頼朝(みなもとのよりとも)が、静岡県の三島大社の神を勧請(かんじょう)したと伝えられています。