能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 屋島/八島 日本語

あらすじ

 修行の旅をしている都の僧たち(ワキ・ワキツレ)が、讃岐の屋島の浦にやってきます。僧たちが夜を明かすための宿を探していると、塩屋(しおや)(海水を煮詰めて塩を作るための作業小屋)を見つけました。そこへ折よく、塩屋の主である漁師の老人(前シテ)が、仕事を終えて若い漁師(ツレ)とともに帰ってきます。僧が都の人であると聞いた漁師の老人は、都を懐かしんで宿を貸します。僧がこの辺りが源平合戦の旧跡であったことを思い出し、そのありさまを語るよう所望(しょもう)すると、老人は、かつてこの屋島の浜で繰り広げられた源氏と平家の戦いを詳しく語ります。まるで見てきたかのような老人の口ぶりを不思議に思った僧が名を訊ねると、老人は実名をほのめかし、姿を消してしまいました。

 老人と入れ替わるように塩屋の本当の主(アイ)が現れます。主は元暦元年三月の屋島合戦について僧に教えると、塩屋を宿として提供しようと言って立ち去ります。僧は、老人の正体が義経であることを薄々察し、義経を待つことにします。すると、僧の夢の中に甲冑をつけた義経(後シテ)が現れ、この世に残した未練としてこの屋島での出来事を語ります。義経はこの戦いで、落とした弓を名誉のために命がけで拾いました。死後もあの頃のように、武士の(ほまれ)を追い求めています。そのため修羅道に落ちて、今も戦い続けているのです。義経は修羅道での奮闘を見せると、夜明けとともに姿を消し、僧は夢から覚めたのでした。

見どころ

 屋島は、現在の香川県高松市です。平安時代末期のこと、源氏との戦いに敗れ瀬戸内海へ逃げた平家一門を追って、源義経は中国四国地方を転戦します。天才的戦略家であった源義経の知恵によって源氏は勝ち続け、ついに壇ノ浦まで平家を追い詰めます。〈屋島〉の題材となった屋島合戦が起きたのは、その戦いの途中の元暦二年(1185年。能では元暦元年とする)のことでした。

 〈屋島〉では、前半に源氏の武士、三保谷四郎(みおのやのしろう)と平家の武将悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)の戦いが語られます。景清が三保谷の兜の(しころ)(すその部分)を引きちぎるため、「(しころ)()き」と呼ばれます。後半では義経が落とした弓を命がけで拾う「弓流(ゆみなが)し」が語られます。結末では、義経が修羅道での戦いを勇ましく演じます。

 小書(こがき)(特別演出)「弓流(ゆみながし)」「素働(しらはたらき)」は、義経が弓を拾う後半の場面に(いろどり)を添える演出です。通常、義経は座ったまま語るのですが、小書がつくと弓に見立てた扇を落としたり追ったりする所作が加わります。「弓流」「素働」の二つを合わせて演じる時は、小書名を「大事(だいじ)」とします。また「那須(なす)(那須語・奈須与市語)」では、間狂言(アイの語り)が大きく変わります。通常は、三保谷と景清の「(しころ)()き」の話を座ったまま語りますが、小書がつくと、弓の名手那須与一(なすのよいち)が、波に揺れる船上の扇の的を射る場面を、所作をつけて演じます。様々な人物を一人で演じ分ける演出が見どころです。「那須」は内容に独立性があることから、単独で上演されることもあります。