能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 胡蝶 日本語

あらすじ

まだ雪の残る早春のこと。吉野山に住む僧(ワキ)が、春の都を見物するため京都へ旅立ちます。

京都に着くと、かつての平安京の(だい)(だい)()(皇居)に近い一条大宮(いちじょうおおみや)の地までやってきます。そこに由緒ありげな古びた大邸宅があり、美しい梅の花が咲いていました。僧たちが梅の花を眺めていると、どこからともなく女(前シテ)があらわれ、僧たちに声をかけます。

女はかつてこの地で貴族たちが詩歌管絃(しいかかげん)(漢詩や和歌を()み、音楽を奏でる)の遊びをしていたことを語ります。

僧に名を尋ねられ、女は胡蝶(こちょう)(チョウ)の精であると明かします。花を愛する胡蝶は暖かい季節に生まれるため、寒い時季に咲く梅の花にだけは縁がありません。

その悲しみを仏法の力で救ってほしいと僧に頼みます。さらに胡蝶の精は『荘子(そうじ)』の「胡蝶の夢」の故事や、『源氏物語(げんじものがたり)』の「胡蝶」の巻など、和漢の古典に取り上げられた胡蝶のことを語り、僧に梅の花の下で待つよう言い残して姿を消します。

そこへ一条辺に住む人(アイ)があらわれ、この地の由来を語り、今夜はここで経を読み胡蝶の心を慰めるようすすめます。

僧が読経をはじめると、胡蝶の精(後シテ)があらわれ、僧に感謝の言葉を述べ、梅の花に舞いたわむれます。悲しみを晴らした胡蝶は明け方の空に飛んで行くのでした。

見どころ

寒い早春に咲く梅と、あたたかい晩春に生まれる蝶とは出会うことがない、という着想をもとに、梅の花に舞い遊ぶ胡蝶の可憐さを描くのが主眼の作品です。胡蝶の役は子どもの演者が勤めることもあります。

舞台となるのは平安京の大内裏に近い一条大宮。能の中に「標野内野(しめのうちの)もほど近く」ということばが出てきますが、室町時代、大内裏の跡には「(うち)()」と呼ばれる広大な野原が広がっていました。また一条大宮は応仁(おうにん)(らん)西軍(せいぐん)の陣がおかれた「西陣」からも近く、激戦地となりました。

「胡蝶」の作者、観世信光(かんぜのぶみつ)は「船弁慶(ふなべんけい)」「紅葉狩(もみじがり)」など劇的展開に富む華やかな作風で知られていますが、応仁の乱に始まる戦乱の時代を生きた人でした。

この作品は胡蝶にまつわる様々なエピソードが古典文学から引用されています。『荘子』からは「胡蝶の夢」(夢の中で蝶になった荘子が目覚めた後、自分は人間になった夢を見ている蝶ではないかと疑った話)が引かれ、現実のはかなさをさりげなく示しています。

また『源氏物語』の「胡蝶」の巻からは、紫の上と秋好中宮が胡蝶について詠んだ歌が、たくみに取り入れられています。

花と蝶という時代を経ても変わらぬ自然を接点に、荒廃した京の都の風景と、過去の華やかな王朝文化のイメージが二重写しになっています。