能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 忠度 日本語

あらすじ

 都の僧(ワキ)が供(ワキツレ)を連れての旅の途中、須磨(すま)の浦(神戸市須磨区)に立ち寄ります。この僧は、歌人藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)の身内の者でしたが、出家の身となっています。僧たちは一本の若木の桜の前で、海人の老人(前シテ)と出会います。日が暮れ、老人が桜の蔭を宿にするよう勧めると、僧は宿の(あるじ)を問います。老人は、「()き暮れて()の下陰を宿とせば、花や今宵の主ならまし」の歌を引いて、(いち)(たに)の合戦で討ち死をした薩摩守(さつまのかみ)平忠度(たいらのただのり)が木の下に眠っていると答え、供養を勧めます。僧は、俊成と和歌の友であった忠度の眠る桜の下を宿とする不思議な縁に驚くのでした。やがて老人は、都に伝言があると言い、夢での再会を約束して消え去りました。

 須磨の浦の男(アイ)から、忠度の話を聞いた僧の夢に、甲冑(かっちゅう)姿の忠度の霊(後シテ)が現れます。霊は、平家が朝廷の敵となったために、俊成が(えら)んだ『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』の中の自分の歌が「読み人知らず」として、名が明らかにされなかったことを嘆きます。そして、俊成の子である定家(ていか)へ、自分の名を入れて欲しいと伝言を頼みます。さらに平家が都を落ちる時に一人引き帰して、俊成に歌を託したことや、岡部六弥太(おかべのろくやた)と戦って討ち死にした有様を語り、花の下へと消えていきました。

見どころ

平忠度(たいらのただのり)清盛(きよもり)の弟。平家随一の歌人でもあり、武芸にも秀でていました。まさに謡にあるように「文武二道」の人物。『平家物語』には忠度の挿話が幾つか見えますが、能〈忠度〉は特に『平家物語』巻七「忠度都落(ただのりのみやこおち)」、巻九「忠度最期(ただのりさいご)」を素材としています。

 一曲のテーマが、忠度の詠んだ「()き暮れて()の下(かげ)を宿とせば、花や今宵の主ならまし(旅に出て日が暮れ、桜の下蔭を宿とするならば、花が今夜の主人となってもてなしてくれるでしょう)」。舞台には、「作り物」(舞台装置)の桜は出ませんが、僧と老人が交わす言葉の間には、確かに桜の存在が感じられるのではないでしょうか。

 後半は、忠度が霊となって現れた理由が明らかになります。一番の妄執は、自分の歌が「()(びと)知らず」となったことです。それゆえ、藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)に歌を託した時の話を聞かせて、名前を入れてくれるよう定家に伝言を頼みます。

 山場は、忠度の霊が岡部六弥太(おかべのろくやた)と組み合う様や、落馬して首を討たれるまでを、具体的な動きで再現する場面です。戦いの場面は自身の立場で演じますが、死んだ後は六弥太の立場に立って演じます。六弥太は死骸の短冊の歌を見つけ、手に掛けた相手の素性を知ります。「行き暮れて」の和歌の上の句の直後には、舞台を一廻りする動きがあります。六弥太なのか、忠度なのか、想像しながら見るのも面白いかもしれません。