能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 咸陽宮 日本語

あらすじ

 舞台は(しん)の都・(かん)(よう)。秦の始皇帝が住まう咸陽宮は、圧倒的な広大さと荘厳で絢爛豪華な建築美を誇っています。

 秦は隣国の(えん)と敵対しており、秦から逃亡した将軍・樊於期(はんねき)の首と燕の国の地図を持ってきた者には恩賞を与える、という()れが官人(アイ)より出されます。始皇帝(しこうてい)暗殺の依頼を受けた、(えん)の国の荊軻(けいか)(ワキ)と(しん)()(よう)(ワキツレ)は、樊於期の首と燕の国の地図を手に、咸陽宮に到着します。

 官人に案内された二人が、金銀珠玉の階段を昇っていると、秦舞陽は暗殺を目前に控えて、恐怖で足がすくんでしまいます。荊軻は暗殺を悟られないように、気後れのせいだとごまかします。やがて二人は宮殿に入り、始皇帝と対面します。まず秦舞陽が樊於期の首を献上し、荊軻が燕の国の地図が入った箱の(ふた)を開き、後ろへ下がります。箱の底に剣が入っているのを見付けた始皇帝は、慌てて玉座から下りようとします。そこで、荊軻は始皇帝の袂をつかみ、剣を胸に当てて殺そうとします。始皇帝は最後に、数多(あまた)いる妃のなかで最も琴が上手い()(よう)夫人(ぶにん)(ツレ)の琴が聴きたいと願い、二人はそれを了承します。

 夫人は技巧を尽くして琴の秘曲を奏でつつ、密かに帝に合図を送ります。それに気づき、始皇帝は掴まれていた袂を引きちぎって屏風(びょうぶ)を飛び越えると、素早く柱に隠れます。激高した荊軻は剣を投げつけますが、逆に二人は討たれます。その後、秦は燕の国を滅ぼすのでした。

見どころ

 〈咸陽宮〉は、秦の始皇帝の暗殺未遂を描いた能です。花陽(かよう)夫人(ぶにん)が機転を効かせ、琴の演奏で始皇帝を窮地から救うという、『平家物語』に見えるエピソードを下敷きに作られています。

 始皇帝は、初めて中国を統一した皇帝です。その強大な権力は、咸陽宮の壮大さや絢爛豪華さ、三千人の妃がいたという描写などからも(うかが)えます。権力の頂点に立つ男にふさわしい、シテのどっしりとした演技が見どころです。

 本曲の特徴は登場人物が多いところにあります。花陽夫人や侍女たちはシテ方が演じますが、刺客である荊軻(けいか)秦舞陽(しんぶよう)、始皇帝に仕える大臣たちはワキ方が演じます。特に荊軻と秦舞陽は見せ場が多く、重要な役どころです。

 荊軻と秦舞陽が暗殺しようと始皇帝に迫り、あと一歩のところまで追いつめながら、その後逆転される場面では、きびきびとした演技が繰り広げられ、本曲の見どころの一つとなっています。

 聴きどころとなっているのは、始皇帝の絶体絶命の危機に、花陽夫人が技巧を尽くして琴を奏でる「琴之段(ことのだん)」です。舞台上で実物の琴を出して演奏するわけではありませんが、大変優美な曲調で、地謡が夫人の演奏の様子を謡います。「琴之段」は独吟(どくぎん)(演者が一人で謡う演奏形式)で謡われることも多くあります。いつもの能とは少し異なる、劇的な展開と演技にご注目ください。