能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 藤 日本語
あらすじ
加賀(石川県)から善光寺(長野県)へ向かう旅の僧たち(ワキ・ワキツレ)は、その道中、氷見の里(富山県)に立ち寄り、多枯の浦を見物することにします。藤が見事に咲き誇る浦の景色を見て、古歌を何気なく口ずさむと、一人の女(前シテ)が現れます。藤の花の美しさを称える歌を思い出さなかった僧を、女は咎め「多枯の浦底さへ匂ふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため」など、見事な藤の景色にふさわしい藤の和歌を詠じます。僧が素姓を尋ねると、女は藤の精とほのめかし、姿を消しました。
僧の前に、里の男(アイ)がやって来ます。奈良時代に大伴家持とお供の縄麻呂が、この浦の藤を眺め和歌に詠んだことがきっかけとなり、「多枯の浦藤」という名所になった、と男は語ります。僧が先程の女のことを話すと、それは藤の精だろうと言い、僧に弔いを勧めて立ち去ります。
僧が弔いを始めると、夜更けに藤の精(後シテ)が現れます。精は弔いに感謝し、浦の季節の移ろいを語り舞います。晩春に咲き誇る藤の花を謡いつつ過ぎゆく春景色を惜しみ、やがて消え失せました。
見どころ
能の中には草木の精をシテ(主役)とする作品があります。〈杜若〉の杜若の精、〈芭蕉〉の芭蕉の精、〈六浦〉の楓の精は女の姿として、また老木である〈阿古屋の松〉の松の精、〈西行桜〉の桜の精、〈遊行柳〉の柳の精などは老人として描かれます。
日本最古の歌集『万葉集』巻十九に所収の内蔵忌寸縄麻呂の詠んだ和歌「多枯の浦底さへ匂ふ藤波を翳して行かん見ぬ人のため」(水底を染めるほど咲き誇る藤の花を髪に挿して行こう。まだ見ない人のために)の前書きの部分には、越中守として赴任した大伴家持(『万葉集』の編纂者の一人)が多枯の浦の藤を賞翫した折に、供の縄麻呂が詠んだとあります。この和歌を主軸として〈藤〉は作られています。
藤の花が咲きかかる松の立ち木の作り物(舞台装置)、藤の花があしらわれた美しい天冠とともに、古代の和歌に詠まれた多枯の浦の景色に想いを馳せつつ、藤の精の舞をどうぞお楽しみください。
〈藤〉は観世流・宝生流・金剛流のレパートリーです。ただし、これらの流儀では藤の精が舞う構想は同じですが、謡の文句が異なります。江戸時代中期に、宝生流の〈藤〉が改作されて観世流の〈藤〉が出来たと考えられています。元の宝生流〈藤〉の作者には、加賀藩二代藩主前田利常と盛岡藩五代藩主南部信恩の二説があがっています。どちらの藩主も能を愛好した人物です。
現在、浦は残っていませんが、氷見市に田子浦藤波神社があり、藤の名所になっています。