能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 蝉丸 日本語
あらすじ
平安時代のこと、醍醐天皇の皇子、蝉丸(ツレ)は赤ん坊の頃から目が見えず、父の天皇の命令で逢坂山(京都府と滋賀県の境)へ追放されることになりました。世話役の清貫(ワキ)は輿に乗せて蝉丸を逢坂山まで連れていきます。清貫は蝉丸を出家させると、やがて帰ってしまいます。愛用の琵琶を抱えて蝉丸は泣き伏すしかありませんでした。
そこへ博雅三位(アイ)がやってきます。蝉丸をあわれに思い、藁で庵を作って住まわせることにします。そして困ったことがあったらいつでも呼ぶように言って帰ります。
ちょうどその頃、蝉丸の姉、逆髪(シテ)は心乱れ宮中をさまよい出て、放浪の旅をしていました。都から逢坂山までやってきます。髪は逆立ち、昔の面影はありません。
雨が降り出し、蝉丸は慰みに琵琶を弾き、歌を詠みます。そこへ逆髪が通りかかり、山中に似合わぬ優雅な調べに思わず立ち聞きします。人の気配を感じた蝉丸は声をかけます。逆髪は聞き覚えのある声に驚き、見れば弟の蝉丸でした。再会した二人は、宮中で過ごした昔を思い出します。逆髪は放浪する今の身の上を嘆き、粗末な庵で暮らす蝉丸をあわれみます。
逆髪は再び旅に出ることにします。再会を約束し、二人は別れます。お互いの声が聞こえなくなるまで呼び合っていましたが、とうとう離れ離れとなったのでした。
見どころ
「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」。百人一首の歌で有名な蝉丸については様々な伝説が残されていますが、逢坂山に住んでいたということ以外、はっきりしたことはわかりません。のちに琵琶法師の元祖として信仰されたので、百人一首の絵札では僧侶の姿で描かれることが多いようです。
蝉丸が醍醐天皇の皇子というのも史実ではなく、逆髪も能が作りだした人物ですが、心を乱しながらも気高さを失わない、詩人のように自由な心を持った人間として描かれています。
逆髪は登場すると「カケリ」を舞います。短い所作ですが、囃子のテンポが急に変化するなど、逆髪のたかぶる心を表します。つづいて京都から逢坂山までの旅を、謡と舞で表現する「道行」となります。通過する地名を織り込みながら、掛詞や縁語など和歌の修辞を用いた巧みな文章です。「水も走井の影見れば」と清水に映った姿を見つめる所作が印象的です。
謡の旋律も美しく、逆髪たちが身の上を嘆く「それ栴檀は二葉より」からの謡など作曲がたいへん凝っていて情趣深いものです。
作者は不明ですが、世阿弥の時代には上演されていたようです。一休宗純が能〈蝉丸〉について詠んだ漢詩が『狂雲詩集』に収録されています。