能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 吉野静 日本語

あらすじ

 源平の合戦で名を()せた源義経は、兄の頼朝との不和により追っ手から逃れて吉野山(奈良県)の衆徒(しゅと)(僧兵)(アイ)を頼ってきましたが、彼らの心変わりから山を降りることになります。追っ手を防ぐように命じられた腹心(ふくしん)の佐藤忠信(ただのぶ)(ワキ)は、山中で義経の愛妾の静御前(シテ)と行き合います。そして義経追討のために集まった衆徒を(あざむ)き、義経を無事に落ちのびさせようと(はかりごと)をめぐらします。

 忠信は都からやって来た参詣者に変装して衆徒たちの集会に紛れこみ、頼朝と義経が和解したという噂を流し、義経一行の武勇を語ることで、衆徒たちの注意をそらします。そこに舞装束の静が現れ、義経の潔白を訴えたうえで、いずれ頼朝からの許しを得るだろうから軽率なことはすべきでない、と衆徒らを(いさ)め、義経の強さには歯が立たないであろう、とも語ります。やがて「賤やしずしずの苧環(おだまき)繰り返し昔を今になすよしもがな」と愛する人への思慕を切々と謡いあげて(ほう)(らく)の舞(奉納の舞)を舞い、衆徒はそのあまりの美しさに見惚れてしまいます。彼らは義経一行の武勇を恐れ、誰ひとりとして跡を追うことはなかったので、一行は無事に落ちのびることができたのでした。

見どころ

 源平合戦での英雄譚から一転、兄の頼朝との不和の末に起きた源義経の悲劇は、能などの様々な文芸に多く描かれています。これらにより、「判官贔屓(ほうがんびいき)」につながる義経像が決定づけられました。

 能〈吉野静〉の構想は、基本的には室町時代の軍記物語『義経記(ぎけいき)』の世界に依りながらも、作者のオリジナルのようです。静と忠信が義経を逃がすために謀議(ぼうぎ)をする前場は、流儀によっては中入までを大幅にカットされます。

 吉野山は、古来より修験道の道場があり大勢の衆徒がいた山です。その中に、義経の家臣佐藤忠信は参詣者を斡旋する道者(どうしゃ)として紛れこみます。佐藤継信(つぐのぶ)と忠信兄弟は義経の忠臣で、本作で忠信は知略の人として描かれています。

 眼目は静御前の華麗な舞です。源義経の愛妾の静は、男装姿で歌舞を舞う白拍子という芸能者でした。衆徒たちが時を忘れて魅入ってしまうほどの(うるわ)しい舞です。

 鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』には、捕らえられた静が、鶴岡八幡宮で頼朝に舞うよう命じられ、「しづやしづしづの苧環(おだまき)繰り返し昔を今になすよしもがな」と、義経への愛を高らかに謡いあげたエピソードが記されています。この和歌は本作でも引用され、義経への強い思いに加え、内に秘めた健気さとしたたかさをも表しています。これが本作での静の魅力といえるでしょう。