能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 六浦 日本語
あらすじ
都から陸奥へ向かう旅の僧(ワキ)と従僧たち(ワキツレ)が、途中、相模国(現・神奈川県)の称名寺に立ち寄ります。
折しも秋、紅葉の盛り。寺の境内の木々はみな紅葉しているのに、一本の楓がまったく紅葉していません。まるで夏の木立のように青々としたままです。
僧が不思議に思っていると、一人の女(前シテ)が現れます。僧が女に楓の由来を尋ねると、女は楓が色づかなくなった経緯を語り始めます。かつて、鎌倉の中納言・藤原(冷泉)為相が称名寺を訪れたとき、まだ山の木々は紅葉していなかったのに、この楓だけは紅葉していました。為相はこれを見て「いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭の紅葉葉」と詠みました。楓は為相の歌に感激し、それ以来紅葉しなくなったのです。
僧は、楓の木の心をよく知る女を不審に思って、素性を尋ねます。女は、自分こそが楓の木の精だと正体を明かし、僧に読経を願って姿を消します。
そこに、六浦に住む所の男(アイ)が現れ、僧に問われるままに楓の木の謂われを詳しく語り、読経を勧めて去ります。
月光冴えわたる秋の夜更け。僧が経を読んでいると、楓の精(後シテ)が現れます。読経に感謝し、成仏させてくれるよう頼むと、優美な舞を舞います。そして夜明けとともに、姿を消すのでした。
見どころ
能には桜や杜若、芭蕉といった草木の精が主役となる作品があり、「六浦」もそのひとつです。古くは「六浦紅葉」「六浦楓」とも称されました。
舞台の称名寺は神奈川県横浜市にある、真言律宗の古寺です。鎌倉中期に北条実時が造立した持仏堂が起源とされています。六浦は称名寺付近の地名で、現在は「むつうら」と呼ばれていますが、能の曲名としては「むつら」と読んでいます。
本作は、鎌倉時代の歌人・冷泉為相(1263-1328)が詠んだ「いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭の紅葉葉」を軸に仕立てられています。為相は現在も続く冷泉家の祖として知られ、鎌倉幕府の要人に和歌を教え、関東歌壇の指導者として活躍した人物です。鎌倉・藤が谷に住んだこともあり、為相の歌集は『藤谷和歌集』と名づけられています。なお「いかにして」の一首は『藤谷和歌集』に収められています。
一曲の眼目は後シテが舞う「クセ」「序ノ舞」です。秋の月夜、楓の精が四季折々の草木の美しさについて語り、ゆったりと優美に舞います。草木の精はしばしば女性の姿で描かれ、若い女性を表す「紅入」の装束(紅色の入った装束)が用いられますが、本作では紅色が入らない「無紅」の装束が用いられることも多く、青葉の楓を感じさせます。優美な舞とともに、装束の演出にもご注目ください。