能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 松虫 日本語

あらすじ

 摂津国阿倍野(あべの)(現在の大阪府)の市人の男(ワキ)は、酒を売っていますが、近頃やってくる客に、正体の知れない男がいるので、今日は名を尋ねてみようと思います。そこへ男(前シテ)と友人たち(前ツレ)が連れ立って現れます。男たちは酒宴を開き、変わらぬ友情が宝だと言います。

 男は「松虫の音を聞くと、亡き友のことが思い出される」と言い、市人はその訳を尋ねます。男は次のように語ります。昔、二人の友人が連れ立ってこの阿倍野の松原を歩いていると、どこからか松虫の音が聞こえてきました。一人が虫の音に誘われ野に入って行きましたが、いつまでも戻ってきません。もう一人が心配になって探しに行くと、友は草の上に倒れ、亡くなっていたのでした……。語り終えた男は、自分こそこのとき友を亡くした男であり、松虫の音に友を偲び現われたのだと言い、姿を消します。

 里の男(アイ)から二人の男の物語を聞いた市人は、男を弔うことにします。すると、男の霊(後シテ)が現われ、市人に感謝します。男の霊はともに時を過ごした友との日々を語り、酒にまつわる故事を語り舞います。さらに亡き友を懐かしむ舞を舞い、虫の音を楽しみます。やがて夜明けが近づくと、男の霊は別れを告げて消え失せ、あとには虫の音が残るばかりでした。

見どころ

 能〈松虫〉は、『古今和歌集』仮名序の「松虫の昔に友を偲び」という一節から生まれた説話を素材にしています。それをそのまま能に仕立てるのではなく、能は説話の後日談として男の霊が亡き友を偲んで舞を舞う、という設定になっています。男の霊は亡き友への深い思いゆえ成仏できずにいますが、死後の妄執の苦しみを訴えはしません。男の霊は酒を酌み交わしながら、美しい景色や音楽、舞に興じていた昔と亡き友を偲んで、虫の音を愛でつつ舞を舞います。それが本曲の眼目です。謡には、(きょく)(すい)(えん)、白楽天の酒の詩、菊水の()(どう)説話や「虎渓三笑(こけいさんしょう)」といった中国の故事など、酒の徳や酒を飲み興じる表現が多く見られます。このような酒と風雅の表現を通して「変わらぬ友・まことの友」との交遊を主題とします。

 また、ワキの市人とシテの男は、一緒に酒を共に飲むだけでなく、難波の浦に住んでいた夫婦の「芦刈伝説」を共に口にすることによって、さらに心を通わせます。有名な夫婦の物語を用いて、今の市人との友情を示すと共に過去の亡き友との契りの深さをもほのめかしているようです。

 古典に登場する「松虫」は、現在の「鈴虫」にあたるとされます。〈松虫〉でも「松虫」の音は「りんりん」と謡われています。結末では秋の虫の声が「きりはたりちょう」「つづりさてちょう」と表現されています。見どころ、聞きどころの一つです。

 世阿弥(ぜあみ)編ともされる小謡集『四季祝言』の「九月九日」には、〈松虫〉前半と重なる詞章が見えます。しかし、〈松虫〉の作者には世阿弥の女婿、金春座(こんぱるざ)の大夫金春(ぜん)(ちく)の可能性も指摘されています。