能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 逆矛 日本語

あらすじ

 季節は紅葉の秋。帝に仕える朝臣(ワキ)と従者たち(ワキツレ)が参詣のため、和州(奈良県)龍田山へ赴きます。一行が参詣していると、(さかき)の枝を持つ老人(前シテ)と松明(たいまつ)を手にした宮人(前ツレ)が通りかかります。彼らは龍田山の夜祭(瀧祭)へ行く途中でした。

 朝臣は老人らの案内で龍田山へ赴きます。朝臣が山の由来を尋ねると、老人は伊弉諾(いざなぎの)(みこと)伊弉冉(いざなみの)(みこと)が、国産みをする際に天の浮橋から矛を海中に下したこと、その矛が「天逆矛(あまのさかほこ)」と名付けられて平和な世となり、矛は龍田山に納められたことなどを語ります。老人はもうすぐ夜祭が始まることを告げると、自分こそ瀧祭明神と正体を明かして姿を消します。

 夜、仮寝をする朝臣のもとに、妙なる音楽が響き、天女(後ツレ)が現れて、たおやかな舞を舞います。矛を携えた瀧祭明神(後シテ)が姿を現し、伊弉諾尊・伊弉冉尊が矛を下して国産みをした様子を見せ、矛の徳を(たた)えます。

見どころ

 「逆矛」とは、『古事記』『日本書紀』で天逆矛・天瓊(あまのぬ)(ほこ)とも称された矛です。記紀では、伊弉諾(いざなぎ)(のみこと)伊弉冉(いざなみ)(のみこと)が天界から下界の海中に下ろされて国土を支えたとしますが、南北朝時代の史書『神皇(じんのう)正統記(しょうとうき)』には、伊弉諾尊から逆矛を預かった瀧祭明神が龍田山の地中深くに埋めて国を守護しているという後日談が付与されており、本作はこのエピソードを下敷きにしています。

 シテの瀧祭明神は水を(つかさど)る神です。元来は龍田社の祭神ではありませんでしたが、中世、もともとの龍田社の祭神であった天御柱大神と国御柱大神が、瀧祭明神と同神とする説が流布しました。本作もその説が背景にあると考えられます。

 前場は、中世の神話観を背景とした天逆矛神話を語る場面が聞かせどころです。天逆矛は、天と地を繋ぐ神々の道具であり、荒々しい国土を豊穣へと導いた霊威ある遺物として讃えられます。

 本作の舞台・龍田山は紅葉の名所です。紅葉の美が描写されるだけでなく、龍田山は天逆矛が納められた神聖な地であるため、詞章にあるように「宝山」とも称されました。

 後場の眼目は天女の優美な舞と、瀧祭明神の豪壮な動きです。天女は龍田山の女神・龍田姫と目されています。明神が大きな矛を振りながら縦横無尽(じゅうおうむじん)に舞台を動くさまや、海原をかき分ける型が印象的です。国産み神話を再現する瀧祭明神の演技をお楽しみください。