能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 養老 日本語

あらすじ

帝の勅使たち(ワキ・ワキツレ)は、養老の滝を検分するために美濃の国(岐阜県)本巣の郡へ向かい、樵夫の老人(前シテ)と、その息子(ツレ)に出会います。勅使は、老人に養老の滝の謂われを尋ねます。山仕事の折りに息子が偶然見つけた泉の水に疲れを癒す不思議な力があったこと、息子が汲んで帰った水を年老いた父母が飲むと、若々しい気持ちが生じ、老いを回復させたことを老人は語ります。養老の滝の由来を知った、勅使たちは霊泉の効力に感激します。さらに老人は不老の薬水にちなみ、酒の徳に関する故事を語って聞かせ、息子とともに立ち去ります。

その後、年老いた里人(アイ)が由来をつぶやきながら養老の滝にやって来ます。泉の水で喉を潤して、その効用を讃えて舞います。すると、里人はすっかり若返り喜んで立ち去ります。演出によって、里人ではなく、山の神が登場することもあります。

すると山神(後シテ)が現れ、神と仏は水波の様に分かちがたい一体の存在であり、山神が楊柳観音でもあると明かします。尽きることなく湧き出す泉をことほぎ、颯爽と舞い、穏やかな御代を治める帝の徳を讃えて、天へとお帰りになるのでした。

見どころ

神が現れて、国土安穏や五穀豊穣を祝う、めでたい内容の作品を「脇能」と呼びます。世阿弥作の〈養老〉は上演頻度も高く、脇能の代表格と言える作品です。

脇能の多くは、前半に仮の姿で現れた神(前シテ)が、後半に真の姿(後シテ)でふたたび現れる形式をとり、その両方を同じ演者が演じます。しかし〈養老〉では、前半に登場する樵夫の親子(前シテ・ツレ)を、神の化身ではなく普通の人間として描きます。そのことから、古くは、樵夫の親子が退場せずにそのまま舞台に残り、山神(後シテ)は別の役者が演じる形式であったことが想定されています。

前半の終わりでは、竹林の七賢(竹林に集い、酒を飲み交わした七人の隠者)の話や、慈童説話(周の穆王に仕えた慈童が山に流されて、菊からこぼれ落ちる露を飲み、七百歳まで生きたという話)等が語られます。「百薬の長」と言われる酒にちなみ、不老の霊泉である養老の滝を称える内容の、朗らかな謡も聞きどころです。

能には通常の演出に変化を加えて、特別な演出で上演される場合があります。その特別な演出にはそれぞれに名称があり、それらを総称して「小書」と呼びます。

観世流の小書「水波之伝」では、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ)が、山神に先立って登場し、天女ノ舞を舞います。その後に登場する山神(後シテ)も、通常とは異なる出立となり、通常よりも激しい神舞を舞います。