能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 野守 日本語

あらすじ

 羽黒山(山形県鶴岡市にある山)から出た山伏(ワキ)が葛城山(奈良県御所市と大阪府南河内にまたがる山)を目指す途中、大和国(奈良県)春日野(かすがの)で野の番をする老翁(老人、前シテ)に遭遇します。

 山伏は野にある池の名を尋ねます。すると老人はわれらごとき野守の姿を映すその池を野守の鏡と称すること、しかし本来野守の鏡とは、この地にいた鬼神(きじん)の持つ鏡のことを指すと教えます。

 山伏は野守の鏡を詠んだ古歌を思い出し、さらに質問します。老人は、かつて帝が鷹狩を行った際、見失った鷹の姿が水面に映し出されたのはこの池であり、このことから「はし鷹の野守の鏡得てしがな…」の古歌が詠まれたのだと教えます。さらに山伏が鬼神の持つ野守の鏡の所在を尋ねると、老人は水鏡を見るように言って、塚の中に消えてしまいます。

 山伏は里の男(アイ)に野守の鏡について尋ねると、先ほどの老人こそ鬼神であると教えられます。

 鏡を見たい山伏は、鬼神の出現を期待して塚に向かって祈ります。すると鬼神(後シテ)が鏡を手にして、塚の中から出現します。山伏は数珠(じゅず)を押し揉み、全力で祈ります。降魔の祈りを無心になす山伏に感じ入った鬼神は鏡を示し、世の果て、地獄の果て、あらゆる世界の様相を映し出し、奈落の底に消えて行きます。

見どころ

 「野守」とは野の番人、野の管理者です。貴人が若菜摘(わかなつみ)をする際には、あらかじめ野に結界をし、その地が荒されないようにするなど、野守は野に精通した人物でした。鷹狩りなど帝の巡行に際しては、案内役を務めたようです。

 本曲は世阿弥作の鬼能。前半で野守の老人がシテとして登場し、行方知れずの鷹を見つけた水鏡の話が語られます。また後半では野守が鬼神の姿となって現れ、力強い演技をします。鬼神といっても、退治される悪鬼ではなく、(よこしま)な世界を正そうとする良い鬼で、鏡を持って演技するところが見どころです。

 本曲の重要なモチーフは野守の鏡です。野守の鏡は、『古今和歌集』の「はし鷹の野守の鏡得てしがな 思ひ思はずよそながら見む」(はし鷹の野守の鏡が欲しいものだ、恋い慕う人が本当に自分のことを思っているかどうか、鏡に映してみたい)という恋歌に詠まれています。この和歌は、帝の鷹狩りの際、鷹を見失ってしまったが、野守が池の水面に鷹の姿を見つけた、という伝説から詠まれました。

 鬼神が手にして現れる野守の鏡。本曲では、失ったものを見出すだけでなく、あらゆる世界を映し出すものとして描かれています。