能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 融 日本語
あらすじ
旅の僧(ワキ)が都の六条河原の院で、汐汲みの老人(前シテ)と出会います。僧は海辺でもないのに汐汲みと名乗る老人をいぶかしく思います。すると老人は、六条河原の院とは、その昔、源融の大臣が陸奥の塩竈の浦を模して庭を作らせた場所であると教え、河原の院の謂われを語り、深い懐旧の念を表します。そして、京都の山々の名所を僧に教え、汐汲みの仕事を始めるかに見えた老人は、潮のしぶきに紛れて姿を消してしまいました。
僧は、都の男(アイ)に六条河原の院の謂われと融の大臣について語るよう頼みます。僧から不思議な老人に出会ったことを打ち明けられた男は、その老人こそ融の大臣の霊であると言い、僧に弔いを勧めて立ち去ります。
僧が旅寝をしていると、融の大臣の霊(後シテ)が現れ、月下のもとで舞い遊び、明け方となると月の都へと消え失せてゆきました。
見どころ
宮城県塩竈市から松島町一帯の海岸は、古くから美しい風景で非常に有名でした。源融が河原の院の庭に塩竈の風景を再現したことや、難波の浦から海水を運ばせて塩焼きの風情を楽しんだことは、『伊勢物語』などが伝えています。融は嵯峨天皇の皇子。七十四歳の長寿を保ち、二十年以上も左大臣を務めていましたが、皇子でありながら天皇になれなかったことに恨みがあったようです。そのような失意を埋めてくれるのが河原の院での風流だったのでしょう。しかし融が亡くなると、河原の院は荒れ果ててしまったといわれます。〈融〉の作者世阿弥は、融の河原の院への強い執心を、月光でやさしく照らしだして、幽玄な歌舞能に仕立てました。
前半の見どころは、過ぎ去った昔を恋い忍ぶ、汐汲みの老人の風情。廃墟にたたずむ老人の姿は、時の流れの無常を感じさせるようです。僧と老人が都の名所の数々を共に眺める場面や、老人が汐を汲み、潮煙に紛れ姿を消す場面にもご注目ください。後半の見どころは、融の霊の舞。昔と同じように融は遊楽の舞を舞います。
〈融〉には、たくさんの「小書(特別演出)」があります。多くは融の霊の舞に変化がつくものです。舞の途中で橋掛りへ行く「窕」や、通常の舞よりも長く舞をたっぷりと舞う「舞返」や「十三段之舞」があります。能全体に関わる特別演出には、「酌之舞」があります。老人の登場場面が一部省略、地謡の途中で退場したりします。舞の前に、河原の院での遊舞を印象付けるような所作をします。