能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 生田敦盛 日本語
あらすじ
「源平の合戦」として有名な治承・寿永の内乱が終わり、鎌倉時代に入った頃のことです。
法然上人に仕える男(ワキ)が、少年の僧(子方)と一緒に上賀茂神社(京都市北区)にやって来ました。
この少年僧は、法然上人に拾われて育てられましたが、実は、内乱のさなかで戦死した平敦盛の子供だったのです。「夢の中でも父に会いたい」と敦盛の子は神に祈ります。
上賀茂の明神は「生田の森(現在、兵庫県神戸市)に向かうように」と夢の中でお告げをします。敦盛の子と男は、すぐに生田の森へ向かい、その日の夕方には到着します。
二人が人家の明かりを目指すと、そこには鎧・兜をつけた美しい武士がいました。敦盛の霊(シテ)です。子供の祈りを聞いた上賀茂の明神が閻魔に頼み、敦盛の霊はこの世に一晩だけ戻ることが許されたのです。
ついに親子は対面を果たし、子供は泣いて喜びます。
敦盛の霊は、平氏の栄華や戦いに散った様子を語り、この対面を喜んで舞を舞います。
しかし、喜びもつかの間のこと。閻魔の使者が敦盛の霊を連れ戻そうと現れます。火炎や剣が降り注ぎ、終わることのない戦いに明け暮れる修羅道の苦しみが、子供の目の前で繰り広げられます。
敦盛の霊は自分を弔ってほしいと頼み、ついに姿を消してしまいました。
見どころ
平敦盛の最期の物語は、教科書にも掲載されることが多い、『平家物語』の名場面の一つです。敦盛は笛の名手で、戦死したときはわずか十六歳でした。
能の中でも《敦盛》は、『平家物語』の話を正面から取り上げていますが、《生田敦盛》は少々事情が異なります。
敦盛に実は子供がいたという話は、『平家物語』にはありませんし、当時の歴史史料でも確認できないのです。
いつの頃からか、敦盛の子供が父の亡霊と対面するという話が人々に親しまれるようになり、戦国時代には『小敦盛』という物語として、写本も残されています。
《生田敦盛》が作られたのは16世紀の初頭、戦国時代に入った頃、武田信玄や織田信長が生まれるよりは前のことです。そんな当時の俗説から生まれた作品なのです。
既存の能を踏まえている部分も多く指摘されていますので、似た作品を探すのも鑑賞の楽しみかもしれません。
《生田敦盛》には、離れ離れになった親子の対面や、父親の子供への愛情のような情感に訴える見せ場もあり、修羅道の苦しみが荒々しく表現される見せ場もあります。二つの要素がどのようなバランスで演じられるのかは、作品の大きな見どころです。
また、シテが登場するまで時間がかかり、その間は子方が主人公のような役割を果たしていることも、特徴といえます。父親を思う、けなげな姿にもご注目ください。