能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 菊慈童/枕慈童 日本語

あらすじ

 中国の古代()時代のことです。酈縣山(れっけんざん(てっけんざん))のふもとで薬の水が湧き出るという不思議な出来事がありました。()文帝(ぶんてい)はその知らせを聞き、酈縣山に勅使(ワキ・ワキツレ)を遣わし確かめさせます。薬の水の水源を探して山の中に分け入った勅使は、菊の花に囲まれた(いおり)を発見します。一体どんな人が住んでいるのかと思い覗いてみると、中から現れたのは、何やらいわくありげな美しい少年(シテ)でした。人里離れた山奥に少年が一人で住んでいることを(いぶか)しんだ勅使は、少年に名を訊ねます。すると少年は、(しゅう)穆王(ぼくおう)に仕えた慈童(じどう)であると答え、穆王からもらった枕を見せます。枕には穆王の記した法華経の()(経の文句)がありました。なんと慈童は、七百年も前から若い姿のままこの山に住み続けているというのです。枕の偈を菊の葉に書きつけたところ、葉から滴る露が薬の酒となり、それを飲んだため不老不死になったのでした。この菊の葉の露こそ、薬の水の水源だったのです。慈童は枕の偈を讃えて、菊と戯れながら舞を舞います。そして文帝に不老不死の力を授けると、仙人の住処へと帰っていったのでした。

見どころ

 古来、菊の花には不老長寿の力があると信じられていました。現代ではすたれてしまいましたが、昔は九月九日に重陽(ちょうよう)節句(せっく)という年中行事があり、その日に菊を使った食べ物や健康法などを楽しんで長寿を祈りました。この節句の楽しみの一つに、菊の花びらを浮かべた菊酒(きくざけ)というものがあります。酒は百薬の長という言葉があるように、昔の人は酒が体にいいものだと信じていたので、酒と菊が結びついた菊酒は、飲むと命が長らえる飲料として愛飲されました。シテの慈童が讃える菊の露(薬の酒)の背景には、このような中国や日本の伝統があるのです。今でも菊と酒は縁が深く、日本酒の銘柄には菊の字を使ったものが少なくありません。また旅館や料理店で時折見かける、七輪(しちりん)(卓上コンロ)に文字が書かれているものがありますが、あれは実は〈菊慈童〉の詞章(台本・歌詞のこと)です。この能は、私たちの食文化にとても身近な作品なのです。

 酈縣山(れっけんざん(てっけんざん))は今の中国河南省(かなんしょう)のあたりにあるといわれる山です。〈菊慈童〉は五つある能の流儀のうち、観世流(かんぜりゅう)だけが使う呼称です。他の宝生(ほうしょう)金春(こんぱる)金剛(こんごう)喜多(きた)の四つの流儀では、この曲を〈枕慈童(まくらじどう)〉と呼びます。

 慈童が舞う中国風の舞「(がく)」が眼目の一つ。ゆったりとした中にも軽快なリズムの感じられる舞です。「楽」に続いて、慈童は菊水を汲んで、勅使に勧め、自分も飲みます。その動きや菊の花に戯れる様子も見どころです。面は「慈童(じどう)」や「童子(どうじ)」。美しい少年の顔だちで、神秘的な表情が特徴です。