能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 船橋 日本語

あらすじ

熊野(くまの)の山伏(ワキ・ワキツレ)が、奥州(おうしゅう)平泉(ひらいずみ)に向かう途次、上野国佐野(こうずけのくにさの)(群馬県高崎市)で橋建立のため勧進(かんじん)(寄付を募る行為)をする若い男女(前シテ・ツレ)に遭遇します。

二人は山伏に橋勧進に応じるよう説得します。山伏が、佐野を詠んだ『万葉集』の歌「東路(あずまじ)の佐野の船橋とりはなし親し()くれば(いも)に逢わぬかも」について尋ねると、二人は船橋(船をつなげてその上に板を置いた橋)にまつわる悲恋の物語を語りはじめるのでした。

川を挟み、愛を育む男女。二人は船橋を介して夜ごと逢瀬を重ねます。それを嫌った男女の親は二人が会えなくなるよう橋板を(はず)してしまいます。そうとは知らない男女は、川に落ちて沈み、果てるのでした。

そう語り終えたと男女は、じつは物語のなかに登場した男女であることを明かし、弔いを懇願して夕景に紛れ、消えていきます。

そこに土地の者(アイ)が現れます。男が川に落ちた後の顛末(てんまつ)や『万葉集』の歌の解釈について語り、男女の弔いを勧めます。

夜、山伏が祈祷(きとう)をはじめると、男女の霊(後シテ・ツレ)が現れます。男は死後も成仏することなく、苦しんでいました。山伏に促されながら、男は川に落ちたときの様子を再現し、やがて山伏の法力によって成仏できたことを告げて消えてゆくのでした。

見どころ

この曲は古くからあった田楽(でんがく)の能を世阿弥が改作したものとされています。作者は不明ですが『万葉集』の古歌とその背景にある物語に着目して創作されたのでしょう。その『万葉集』の歌に橋建立の勧進のはなしを加え、脚色したのは改作者の世阿弥と考えられています。

古歌の中にある「とりはなし」の解釈については間狂言(あいきょうげん)のなかで詳しく語られます。男女の親たちは川に沈んだ二人の死体を探します。

しかし、どうしても見つかりません。そこで死体の上で鳥が鳴くという言い伝えにしたがって、親たちは鳥を探します。しかし、佐野には鳥がおらず、そこから「(とり)()し」、そして橋板を(はず)す意味の「()(はな)し」がそこに重ね合わされます。

また、船橋は川の両岸に柱を立て、その間に鎖、もしくは綱をかけて多くの船を並べて、その上に板をかけた橋のことです。前半部分では、橋とワキの山伏に関係づけて、山伏の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)と、葛城の女神(一言主命(ひとことぬしのみこと))の故事が詞章に織り込まれます。

この曲では橋の故事などを含め和歌の知識が多用されるなど、陰惨な内容のなかにも、それをやわらげる工夫がなされています。

また、後半部分で男女の逢瀬が再現されます。男は川向こうに女を見つけ、はやる気持ちをおさえきれずに近づきます。橋板が外されていることに気づかず、川に落ちてしまうシテの演技が見どころです。