能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 巻絹 日本語

あらすじ

 帝の臣下(ワキ)が、巻絹(木の軸に巻きつけた絹の反物(たんもの))を熊野(くまの)権現(ごんげん)に奉納せよとの帝の命令を受けました。熊野に全国から絹が集められている中、都からの絹が未だ届かず、臣下は従者(アイ)と共に、今や遅しと待ち構えています。

 絹を運ぶ都の男(ツレ)は、山々を越えて熊野に到着しましたが、途中の(おと)(なし)天神に立ち寄り、参拝することにします。そこで冬梅(ふゆ うめ)の香に心()かれ、心の中で一首の歌を詠み、神に捧げます。その後、臣下のもとへ急ぎますが、期日に遅れてしまったため、臣下に(とが)められ、懲罰(ちょうばつ)として男は従者に縛り上げられます。

 するとそこへ、音無天神が取り()いた巫女(みこ)(シテ)が現れます。この巫女は、男が前日に音無天神を参拝し、手向けた和歌によって苦しみを和らげられたのだから、縄を解くようにとの神託を告げます。身分の(いや)しい男が歌を詠むのかと不審がる臣下に、男は和歌の上の句である「音無にかつ咲き()むる梅の花(音無の地にひっそりと咲いたばかりの梅の花よ)」と詠み、続く下の句の「匂()ざりせば(たれ)か知るべき(この梅の匂いがなければ、誰が気づくでしょう)」を巫女が詠じてみせます。やがて、男の疑いは晴れて、縄は解かれます。巫女は、和歌の徳を語り始ります。

 熊野権現を讃美し神楽を舞います。神憑(かみがか)りの状態となった巫女は、髪や梅の枝を振り乱し、狂乱のうちに激しく舞うと、やがて神々は離れ、巫女は正気に立ち戻るのでした。

見どころ

 〈巻絹〉の舞台は、紀伊国(きいのくに)(和歌山県)・熊野。熊野三山(本宮(ほんぐう)大社・(はや)(たま)大社・那智(なち)大社)は、古くから修験道(しゅげんどう)の修行の地とされ、人々の信仰を集めてきました。作者、成立は不明ですが、熊野の信仰世界、和歌の徳、それを伝える神懸(かみがか)りの巫女という発想は、中世らしさを色濃く反映しています。

 絹を運ぶ都の男は、音無天神に参拝し和歌を捧げます。この歌によって、音無天神は「三熱(さんねつ)の苦しみ」から(まぬか)れたと言いますが、中世では神の苦しみをも軽減できる程に、和歌には特別な力があると考えられていました。

 鎌倉時代の説話集『(しゃ)石集(せきしゅう)』には、本曲の原拠となっている説話が収められています。音無天神で男が詠んだ和歌に心を打たれた後嵯峨(ごさが)上皇が、男の年貢(ねんぐ)を免除する褒美を与えたという話です。ここでも、天神に捧げた和歌によって男は救われます。能〈巻絹〉にも様々な和歌にまつわる逸話が登場しますが、和歌は聖なる力を持った呪文のような言葉として理解されていたのです。

 見どころは、後半の巫女の神懸りの舞です。「神楽(かぐら)」の舞から、神懸りの状態へとおちいり、飛び上がり、踊り上がる激しい狂乱の舞を見せます。最後、神懸りのありさまから一転、梅の枝を捨て去り「狂い覚めて」と立ち上がる様子は、神が去って正気に戻る巫女を鮮明に表現しています。山深い熊野の神秘的な世界で、神が憑依(ひょうい)した巫女による狂乱の舞にご注目ください。