能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 歌占 日本語

あらすじ

伊勢(いせ)神宮(じんぐう)の神職、渡会家次(わたらいいえつぐ)はある日、諸国を巡る旅に出かけたまま行方不明になってしまいます。

家次の子、幸菊丸(こうぎくまる)(子方)は父の行方を探すうちに加賀国(石川県)と美濃国(岐阜県)の境にそびえる白山(しらやま)(現在の白山(はくさん)国立公園)へやってきます。ちょうどその頃、白山に素性の知れない男巫(おとこみこ)(シテ)が住みつき、その歌占(うたうら)(和歌を用いた占い)が恐ろしいほど当たると評判になっていました。

幸菊丸は父の行方を占ってもらおうと、白山の麓に住む男(ツレ)とともに男巫を訪ねます。男巫は若いのに髪が真っ白でした。訳を聞くと、男巫は諸国を巡る旅の途中で急死し、三日後に生きかえったが、その時地獄の光景を垣間見たために白髪になってしまったと説明します。

まず白山の男が歌占を引くと、男巫は悩みごとを言い当てます。ついで幸菊丸が歌占を引くと、「すでに父と再会している」という結果が出ました。男巫は不思議に思い、幸菊丸の素姓を尋ねます。幸菊丸の父は渡会家次、男巫その人でした。二人は再会を喜び合います。

親子そろって故郷へ帰ることになり、家次は帰郷の記念に地獄の有様を描いた「地獄の曲舞(くせまい)(曲舞は室町時代に流行した芸能)」を舞います。舞を舞ううちに神が憑依し、家次は狂乱しますが、正気に戻ると幸菊丸を連れて伊勢の国へと帰っていったのでした。

見どころ

能「歌占」は理性では割り切れない不条理な世界を描きます。ここで描かれる「あの世」の有様は、戦乱や天災など死と隣り合わせで生きていた室町時代の人々に現実味をもって響いたのではないでしょうか。また地獄の曲舞の中で「魂は籠中の鳥、開くを待ちて去る」と謡われるように、死は恐ろしいものであると同時に、苦しみ多い生からの解放という意味もあったのではないでしょうか。

人間の無常と死後の世界での業苦を描く「地獄の曲舞」は、難解な漢語が並べられ(現代でも語義不明な語が多く使われています)、七五調でない文章を八拍に当てはめて謡うため、文節とリズムの切れ目が一致しておらず、演者にとって至難の曲とされています。曲舞の後半に地獄の責め苦を具体的な所作で再現するのが見どころです。

つづく神がかりの狂乱は露、霰、卯の花、五月雨、と「白」のイメージで統一されています。名手が演じると鮮やかな舞の手の連続で息も継がせぬ面白さです。舞の熱狂による忘我の境地をへて、死への傾斜を振り切るように渡会親子は帰郷します。

作者は世阿弥(ぜあみ)の息子の観世元雅(かんぜもとまさ)。「隅田川(すみだがわ)」「盛久(もりひさ)」などの作者として知られていますが若くして亡くなり、世阿弥の嘆きが「夢跡一紙(むせきいっし)」に残されています。