能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 花月 日本語
あらすじ
筑紫(九州)彦山の旅の僧(ワキ)が都の清水寺を訪れます。僧の子は七歳の時に行方不明となってしまい、それ以来僧は出家し、諸国を修行していました。僧は清水寺門前の男(アイ)に声を掛け、花月と呼ばれる少年(シテ)の話を聞きます。男に呼び出された花月は、「花月」という名の由来を語ります。男と親しげに恋の小歌を謡うと、桜の花を散らす鶯を弓矢で狙います。しかし、殺生をしてはいけないという仏の教えを思い出し、弓矢を捨てます。
やがて花月は清水寺創建の由来を語る曲舞を舞い謡います。それを見ていた僧は、花月が我が子であると気づきます。花月は七歳の時に彦山で天狗にさらわれたと明かし、父と子は再会を果たします。
門前の男が、八撥(羯鼓を打ちながらの舞)を所望すると、花月は、天狗にさらわれてめぐった諸国の山々のことを謡い、僧の父と仏道修行の旅に向かいます。
見どころ
満開の桜の下で、中世に流行した芸能が次々に披露される花やかな作品。小歌は、中世の流行歌謡で、花月が門前の男と「恋はくせ者」という小歌を歌う場面は、見どころの一つ。艶っぽい雰囲気が漂います。鶯を弓矢で狙う場面は、物真似の一つ。小弓は、中世には春の子どもの遊びとして考えられていたとの指摘もあり、まさに春を舞台にした能にふさわしい芸能です。その後、芸は曲舞・八撥(羯鼓舞)・山廻りの舞と続き、これらの芸それぞれが見どころ。
花月という少年は、天狗にさらわれ、山々を廻る経験をしました。恐ろしい思いもしてきたのかもしれませんが、どこか童話的な感じもする話です。また花月は自分の名前の由来を、「『月』は永遠に常に存在するもの、『花』は四季に応じて『花・瓜・菓・火』といった、同音の風物を当てはめ、その上『因果』の『果』である」と披露します。これは禅の言葉のような趣の自己紹介です。
能を大成した世阿弥の伝書『三道』には、「放下には自然居士・花月・東岸居士・西岸居士などの遊狂」と記述されています。「放下」とは、半分は僧、半分は普通の身分といった存在で、出家していながらも髪を剃ったりはせず、説法や羯鼓や簓の芸などを披露する者のこと。自然居士や東岸居士と共に、花月も実在した芸能人と考えられ、それをモデルに能〈花月〉は作られました。ただし作者は不明です。