能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 杜若 日本語

あらすじ

 諸国をめぐる僧(ワキ)が都から東国へ赴く途中、三河(みかわ)の国(愛知県)の八橋(やつはし)の沢辺で杜若(かきつばた)を眺めていると、一人の女(シテ)が声をかけてきました。女は僧に、ここが『伊勢物語(いせものがたり)』に名高い杜若の名所であることや、在原業平(ありわらのなりひら)がこの杜若を詠んだという唐衣(からころも)きつつ馴れにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」の和歌について教え、今夜の宿を貸そうと申し出ます。

 僧を(いおり)に招き入れた女は、冠と唐衣を見せると、冠は業平の、唐衣は業平と恋に落ちた清和(せいわ)天皇の后、高子后(たかこのきさき)の形見であると説明します。不思議に思った僧が女の正体を問うと、自分は杜若の精であり、業平は極楽の歌舞の菩薩(ぼさつ)がこの世に仮に現れた人である、と女は明かしました。

 杜若の精は、業平の恋の物語を語り始めます。仁明(にんみょう)天皇の内裏(だいり)元服(げんぷく)した時の初冠(ういかむり)のこと、はるか東国へ下ったさすらいの旅、三河の国八橋の杜若、そこで高子の唐衣を偲んで詠んだ歌のこと。それらの物語すべてに恋があり、業平が契りを結んだ女たちの存在があることを示します。実は業平は、男女の仲を取りもつ陰陽(いんよう)の神であるという秘密をも打ち明け、美しい舞を見せます。そして草木国土すべてのものが成仏できるという仏の教えを得て、夜明けとともに消え失せたのでした。

見どころ

 能〈杜若〉は『伊勢物語』九段の東下(あずまくだ)り、杜若の場面の歌「唐衣(からころも)きつつ馴れにしつましあれば、はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」を構想の中心にしています。この歌は、各句の冒頭が「かきつはた」になっている折句(おりく)(和歌の技法)です。『伊勢物語』の主人公「昔男(むかしおとこ)」は平安時代の実在の貴族在原業平(ありわらのなりひら)とみなされ、業平の一代記として読まれていました。『伊勢物語』の注釈書において、業平は人々を仏の教えへ導く歌舞の菩薩(ぼさつ)が仮に姿を現した人物で、さらに数々の恋愛は仏教的に女性を救うためであって、業平は男女の仲を取りもつ陰陽の神であるとみなされ、こういった解釈は秘事と考えられていました。中世の人々が考えた業平像や『伊勢物語』への理解が、〈杜若〉の背景にはあるといえます。

 見どころは「クセ」と呼ばれる舞と「(じょ)(まい)」で、〈杜若〉の「クセ」は通常の能よりも長いのが特徴です。業平の歌に詠まれた杜若の精が、業平の冠と彼の恋人高子后(たかこのきさき)の唐衣をまとった姿で、業平の華麗でありながらも切なさの漂う様々な恋物語を語り舞います。紫色の花の精、業平、高子、そして昔の幾多の恋物語、秘事で語られる業平像といった、何層ものイメージが重なり、時に一つ一つが幻のように揺らぎながら見えてくる舞といえるかもしれません。

 小書(こがき)(特別演出)には、「序ノ舞」が特殊な短い舞になる「素囃子(しらばやし)」、精が橋掛りの欄干(らんかん)の外を沢に見立てて水鏡に姿を映す「恋之舞(こいのまい)」「沢辺之舞」などがあります。は、「序ノ舞」が特殊な短い舞になる「素囃子(しらばやし)」、精が橋掛りの欄干(らんかん)の外を沢に見立てて水鏡に姿を映す「恋之舞(こいのまい)」「沢辺之舞」などがあります。