能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 弓八幡 日本語

あらすじ

 頃は二月初旬。後宇多院(ごうだいん)の臣下(ワキ)は、勅命により、男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)石清水(いわしみず)八幡宮)の初卯(はつう)の祭で郢曲(えいぎょく)催馬楽(さいばら)・朗詠などの謡)を行うことになったので、従者たち(ワキツレ)を連れて赴きます。

 男山八幡宮の境内に、桑の弓を肩にかかげた老人(前シテ)と男(シテツレ)が現れます。老人は八幡宮に仕える者だと名乗り、桑の弓を献上しようと考えているといいます。なぜなら、神代では桑の弓・(よもぎ)の矢で世を治めたと伝えられていますが、今は天下泰平の世なので、弓を袋に包むことでその(あかし)としたいからだと説明します。

 老人は、神武天皇、神功皇后が弓矢をもって世を治め、応神天皇の世で平和となったこと、欽明天皇の御代に男山八幡宮が建立された縁起を語ります。そして、自分こそが、八幡神の末社・高良(かわら)の神であると名乗ると姿を消します。

 山下に住む男(アイ)が現れ、男山八幡宮の由来や初卯の神事について語ります。男は臣下に高良の神の奇特を天皇に伝えるよう勧め立ち去ります。夜、高良の神(後シテ)が現れ、颯爽と舞を舞いながら、神代から続く八幡神の神徳を(たた)えると、平和を言祝(ことほ)ぐのでした。

見どころ

 〈弓八幡〉は、高良の神がきびきびとした所作で颯爽と舞う、後場の「神舞(かみまい)」が見どころの脇能(わきのう)(神を主役とする能)です。同じく脇能「高砂(たかさご)」とともに「(しん)ノ脇能」と呼ばれ、脇能のなかでも格式が高い作品です。作者の世阿弥(ぜあみ)が、自身の芸談書『申楽談儀(さるがくだんぎ)』で本作品をすっきりとした風情(ふぜい)のある能と自作を評しています。

 本作品の舞台・男山八幡宮(石清水八幡宮)は京都府・男山にある神社で、九州の宇佐八幡宮から都の守護のため勧請(かんじょう)されました。皇室の信仰が厚く、歴代天皇が多く行幸(みゆき)したため、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう)に位置づけられています。後宇多院(ごうだいん)の臣下が八幡宮に訪れる「初卯(はつう)の祭」とは、八幡神が宇佐の地に初めて(あらわ)れたことを祝う祭りで、「早韓神(はやからかみ)」などの神楽歌が奏されます。八幡神は武神として知られ、源氏の氏神であり、武家からの信仰が厚い神でもあります。室町幕府三代将軍・足利義満(よしみつ)や四代将軍・義持(よしもち)も石清水八幡宮にたびたび参詣しています。

 本作品の重要な小道具である桑の弓は魔除(まよ)けの力があるとされます。古代中国には、男児出産のさいに立身出世(りっしんしゅっせ)を願って桑の弓に(よもぎ)の矢で射る風俗があり、『平家物語』には、安徳天皇が生まれたときに桑の弓で蓬の矢を射たという記述があります。前場のクライマックスで、老人(実は八幡の末社(まっしゃ)高良(かわら)の神)が、袋に包んだ桑の弓を手渡すのは、戦のない天下泰平(てんかたいへい)の世が続くことを予祝します。