能のあらすじ・見どころ Summary and Highlights of Noh 芭蕉 日本語
あらすじ
中国の楚の国、湘水の山中に住む僧(ワキ)は、毎晩、法華経を読誦(経を読むこと)していましたが、いつも何者かの気配がするのを気にしていました。季節は秋の半ば。僧は今日こそ、その者に声をかけようと思い、経を読んでいると、女(前シテ)の声がします。女は結縁(仏と縁を結ぶこと)のため、庵に入りたいと言います。僧は断りますが、女の志の深さに心動かされ、庵の内へ招き入れます。僧が草木も成仏できるという法華経の教え(薬草喩品)を語ると、女は喜び、草木成仏について自らも詳しく語り出します。やがて女は芭蕉の精であるとほのめかし、消え去りました。
庵に里の男(アイ)が現れ、冬には葉が落ちてしまうので現実にはあり得ない雪の中の芭蕉を描いた「雪中の芭蕉」の故事や、または狩人から逃れた鹿を芭蕉の蔭に隠すも、鳴き声をあげてしまい捕えられた話などを語ります。そして、先ほどの女は芭蕉の精であろうと言い、僧に法華経の読誦を勧め立ち去ります。
僧が経を読んでいると、芭蕉の精(後シテ)が現れます。芭蕉の精は法華経の草木成仏の教えを語り、風に破れやすい芭蕉の葉のもろさ、はかなさを嘆き、舞を舞います。月の光のもとで舞う芭蕉の精。やがて秋の風が吹き荒れ、芭蕉の精は消え失せてしまいます。あとには破れた芭蕉の葉が残るだけでした。
見どころ
芭蕉の精が女性の姿で現れる、芭蕉をはかなさや無常の象徴として描くといった発想は、中国の故事や仏典にみられる話です。こうしたものを素材に〈芭蕉〉はさらに法華経の教えを加え、結縁を願う女性姿の芭蕉の精に草木成仏(心を持たない草や木であっても成仏できること)を説かせるという作品に仕立てました。
芭蕉という植物は、夏には大きく葉が茂りますが、冬には葉が枯れてしまい無残な姿をさらします。また葉は繊維に沿って破れやすいことでも知られています。能の〈芭蕉〉は季節を秋の半ばにすることで、夏から冬の間に大きく変わる芭蕉の無常さ、はかなさを引き出しています。季節への意識は詞章(能で謡われる言葉)の中からも読みとれます。能は詩劇ともいわれ、こうした詞章を味わうのも見どころのひとつです。
後半で芭蕉の精が舞うのは「序ノ舞」と呼ばれる舞です。「序ノ舞」は、女性や草木の精など、さまざまなシテが舞う舞で、静かで品位のある舞です。芭蕉の精が美しく舞っている最中、秋の風があたりを吹き散らし、ふと気がつくと芭蕉の精は消えています。あとには破れた芭蕉の葉が残っているだけ……。舞から結末にかけての深い余韻をお楽しみください。